LOGIN待機室を出た優斗と律は無言で歩く。その手はきつく握られていた。律の震えは止まっていたが変わらず俯いたままで顔色が悪い。今まで短い期間ではあるが見た事のない律の様子に優斗は不安を募らせた。父の言葉も気にかかる。
お仕置。
確かにそう言っていた。それがどんな物なのか、優斗には想像もつかない。しかし、この律の様子から察するにそれは世間的に非難される様なものではないのか。考えれば考える程悪い方向に思考は巡る。
そんな非道を父がするとは思いたくは無い。だが、あの目を見た後ではそう考えるのも仕方のない事だった。
「律……」
暗く沈む相棒に優斗はどう声をかければいいのか分からない。人を遠ざけてきた弊害がこんな形で出ようとは。
今までなら仲違いをして去っていく友人を追う様な事はしなかった。そうなってしまったのにはそれなりの理由があったし、それを覆してまで仲を取り戻そうとは思わなかったから。
親しくしていた友人とも関わりは薄い。たまに小説の話をしたりする程度で、昼食を一緒に食べたり、休日に遊びに出たり。
親友と呼べる者もいない。一人で過ごす事に支障は無かったし、団体行動は性に合わない。
警察官を目指すならそれも受け入れざるを得ないが、それはそれ。仕事と割り切る事ができる。
でも今は違う。律を失う事が酷く怖かった。
突然現れた転校生。共に過ごしたのは極短い一週間。それなのに、律の痛みが優斗を
共に戦ったから?
秘密を共有しているから?
どれも違う気がする。
何故か律の存在が心を捉えて離さない。
笑みの消えた顔を見るのが辛かった。笑ってほしい。
それが例え狂気に満ちたものでも。声が聞きたい。
無邪気な声が。――なん
腹ごしらえも終えて、次に向かったのは宿舎だ。十五階建ての臙脂色のマンションが四つ並ぶ中、二番目の建物に足を踏み入れる。そこはだいぶ古びてはいたが、リノベーションされているのか住み心地は悪くなさそうだった。 薄暗いエントランスを進み、エレベーターを呼ぶ。優斗達の部屋は十二階だ。部屋は十階までの下層に単身向け、十一階から上層がファミリー向けに作られている。優斗達は二人なのでファミリー向けの部屋が割り振られていた。実際にはファミリー向けと言っても優斗達の様にバディ同士で入居している方が圧倒的に多い。動くのに都合がいい上、家賃も抑えられるからだ。他にも職場結婚して部屋を移る例もあるとか。 部屋の割合からいって単身者が多いのだろう。陰陽寮の仕事柄、家庭を持つのは難しいのかもしれない。玲斗の様に離れて暮らす例もあるようだがそれもごく一部だ。 十二階に到着すると、エレベーターを降り一番奥、一二〇七号室の前まで辿り着く。扉は白い鉄製だ。律が鍵を取り出し鍵穴に差し込めば、それは簡単に回りガチャリと音がした。 律はにっこり笑うと弾むように声を上げる。「ここが今日から俺達の愛の巣だよ~。さ、入って!」 開かれた扉の向こうには廊下が伸びている。少し埃っぽい匂いと、微かな律の匂い。どうやら先に律の荷物は運び込まれているようだった。 靴を脱いで室内に上がると、律がそれぞれの扉を開けながら案内する。 まず最初にあるのが律の部屋。玄関から入って左側だ。窓の無い八畳程の洋室にセミダブルベッドと勉強机、それからタンス。片隅にはクローゼットがある。意外に物が少ない。勝手に散らかっている部屋を想像していた優斗は拍子抜けしていた。 だが今日が初日だ。これから散らかる可能性は十分ある。 それに何を勘違いしたのか、律は照れながら優斗の顔を覗き込む。その目に要らない色気をたっぷり乗せて。「いつでも遊びに来ていいからね。鍵は開けとくから。ベッドも新調したんだ。シングルじゃ狭いからね。俺の隣は優斗の物だよ」 それに侮蔑の表情で返すが、律は何故か喜んだ。どんどん悪い方へ拗らせている気がしてきて、優斗の背を冷や汗
繋いだその手を唇に寄せ、傷跡にそっと押し付ける。それは口付けと呼べるほど上手いものではなかったが、優斗にとっては初めての行動だ。衝動的にやってしまった行為にたちまち頬が染まっていく。 不意を突かれた律の足が止まった。 しかし、しばらく経っても律は何も言わない。反応が気になってちらりと窺い見れば、律は驚きで目を見開いていた。繋いだ手と優斗の顔を交互に視線が行き交う。「優斗……なんで」 手放しで喜んでくれると思っていた優斗はその言葉に少し腹を立てた。そして、拗ねた様に口を尖らせ言い訳を口にする。「お前が、らしくもなく落ち込んでるから、少しは元気が出るかなって……。勘違いするなよ! ︎︎好きとかそんなんじゃ無いからな! ︎︎気まぐれ。そう! ︎︎ただの気まぐれだ! ︎︎お前が静かなのは、気持ち、悪いから……」 そう言う優斗の顔は熟れた林檎の様に赤い。照れからそっぽを向く優斗の態度が可愛くて律は微笑んだ。「ありがとう優斗。すごく嬉しい」 そう言って自身の傷跡に口付ける。 そしてニヤリと笑うと上目づかいで優斗を見つめた。「これで関節キスだね」 その言葉に優斗は更に赤くなる。「調子に乗るなよ!」 そう言って尻を蹴り上げれば笑い声が上がった。そして再開されるマシンガントーク。「そうそう! ︎︎この近くにね、唐揚げが美味しい定食屋さんがあるんだ! ︎︎衣は薄くて外はサクサク、中はジューシー! ︎︎俺、薄着の唐揚げって大好き! ︎︎サイズも大きくて大満足だしニンニクが効いてて美味しいの! ︎︎ご飯もツヤツヤでいくらでも入っちゃう。お味噌汁は赤出汁でね、蜆が入ってるんだ。しかもご飯とお味噌汁はおかわり自由! ︎︎それで税込七百八十円はお得だよね! ︎︎お財布にも優しくて美味しいなんて最高! ︎︎もうお昼も過ぎてるし食べに行こっか。俺お腹ペコペコ~」 ――う、薄着の子? 言っている事の意味はよく分からなかったが、そこにあるのはいつもの笑顔。いつもの明るい声。 優斗はそっと胸に手を添える。その奥はじ
待機室を出た優斗と律は無言で歩く。その手はきつく握られていた。律の震えは止まっていたが変わらず俯いたままで顔色が悪い。今まで短い期間ではあるが見た事のない律の様子に優斗は不安を募らせた。父の言葉も気にかかる。 お仕置。 確かにそう言っていた。それがどんな物なのか、優斗には想像もつかない。しかし、この律の様子から察するにそれは世間的に非難される様なものではないのか。考えれば考える程悪い方向に思考は巡る。 そんな非道を父がするとは思いたくは無い。だが、あの目を見た後ではそう考えるのも仕方のない事だった。「律……」 暗く沈む相棒に優斗はどう声をかければいいのか分からない。人を遠ざけてきた弊害がこんな形で出ようとは。 今までなら仲違いをして去っていく友人を追う様な事はしなかった。そうなってしまったのにはそれなりの理由があったし、それを覆してまで仲を取り戻そうとは思わなかったから。 親しくしていた友人とも関わりは薄い。たまに小説の話をしたりする程度で、昼食を一緒に食べたり、休日に遊びに出たり。凡そ一般的に友人と呼ばれるような行動をするという事も無かった。優斗は実家の手伝いをしているからどうしても付き合いは悪くなる。だからその方が都合が良かったし、気を使わないで済むのだ。 親友と呼べる者もいない。一人で過ごす事に支障は無かったし、団体行動は性に合わない。 警察官を目指すならそれも受け入れざるを得ないが、それはそれ。仕事と割り切る事ができる。 でも今は違う。律を失う事が酷く怖かった。 突然現れた転校生。共に過ごしたのは極短い一週間。それなのに、律の痛みが優斗を苛む。何がそうさせるのか。それも分からない。 共に戦ったから? 秘密を共有しているから? どれも違う気がする。 何故か律の存在が心を捉えて離さない。 笑みの消えた顔を見るのが辛かった。 笑ってほしい。 それが例え狂気に満ちたものでも。 声が聞きたい。 無邪気な声が。 ――なん
一人で思案に耽ってしまった玲斗はブツブツと呟いている。昔から熱中すると周りが見えなくなる所はあったがこういう時でもそうなのかと優斗は呆れるばかりだ。以前の優斗なら仕事の事だからとそっとしていた。しかし、もう容赦はしない。力の限り横腹をドつくと、呻き声を上げ体がくの字に曲がった。「い、痛い! 優くん何するの!?」 それを冷めた目で見遣りながら顎で続きを促す。「うぅっ。なんか父さんの扱い酷くなってない?」 抗議の声に再度拳を振りあげれば慌てて手で制す。「ごめん! ごめんなさい! えぇっと、そう! 仕事の話だったね。普段なら様々な状況に対応するために戦力を組むんだけど、優くんの任務は激しめだからね。バディも五位のりっちゃんなんだ。歳も一緒だしやりやすいでしょ?」 こてんと首を傾げてにこやかに告げる父。四十のおっさんがしても可愛くない。白けた視線を送る優斗にもめげずに両手の人差し指を頬に当て、ニッコリ笑う。「今すぐ必要な情報はそれくらいかな。優くんには明日から教習を受けてもらうよ。先生は美人なお姉さん! あんまりキレイだからってよそ見ばっかりしちゃダメだからね」 頬から指を離すとそのまま優斗の鼻をちょこんと触る。ドつかれたばかりだというのに懲りない父に溜息を吐く。 そこに律の声が上がった。「先生って幸乃さんでしょ? 俺も久しぶりに会いたいな~。アレは健在なんだよね?」 ムフフといやらしい笑みを浮かべる律に、玲斗も応じる。「勿論だよ。アレは最早歩く凶器だね。あ、でも僕は奥さん一筋だから興味ないもーん」 コソコソする二人に訝しむ優斗の視線に玲斗は焦ったように言い繕う。終いには鳴らない口笛で誤魔化した。そして律に向き直る。「それからりっちゃんは別の仕事があるからね。教習の間は別行動だよ」 それに律は泣きそうな顔をしながら駄々を捏ねた。「え~。やだやだ! 優斗と一緒がいい! 俺も教習受けるから!」 しかし、玲斗は首を振る。
優斗が部下としての態度を示した事で、玲斗も落ち着きを取り戻した。改めて優斗を歓迎し、部屋へと招き入れる。 部屋は十畳程の広さがあり、事務机が行儀よく並んでいた。向かい合わせで五席、計十席だ。壁際には書類棚が並び、その最奥に離れて一席。その机上には父の名が記されたプレートが乗っている。 その横に一人の男性が立っていた。二十代半ばだろうか。律と同じくらいの背丈だが、その厚みが違う。洋画のアクション俳優のような体格に短く刈った坊主頭、迷彩のツナギに身を包んでいる。太い眉に四角い顔。こんな怪しい組織より自衛隊にいた方がしっくりくるその人物は、見た目の通り言動も格式張っていた。足は肩幅に広げ、腕は背中で組む、所謂休めの姿勢だ。そのまま微動だにしない。 玲斗がその青年を紹介してくれた。「彼は僕の相棒で永都順一郎《じゅんいちろう》。順くん。この子が僕の息子の優斗だよ。仲良くしてあげてね」 優斗も頭を下げ挨拶をする。「小堺優斗です。父がお世話になってます。未熟者ですが、これからよろしくお願いします」 それに想像以上の声量が返ってきた。「自分は永都順一郎であります! 共切の使い手である優斗殿にお会いできて光栄の至り! 共に悪しき者共より民草を守りましょうぞ!」 怒鳴り声とも取れるその衝撃をまともに喰らった優斗を耳鳴りが襲う。目もチカチカしてふらついた。それを見た律が指差して大笑いする。「あはははは! 順一郎さんの声凄いよね! 俺も初めて会った時は驚いたな~。でもすぐ慣れるよ!」 そう言って背中を叩いた。 律や玲斗とはまた違う、浮世離れの仕方だ。一昔前の軍人じみた喋り方といい、陰陽寮には変人しかいないのか。もしかしたら、その仕事内容のせいではみ出し者が集まってくるのかもしれない。しかも優斗「殿」と来た。年上の先輩にそう言われるのは心苦しい。 優斗は控えめに後輩として扱うよう頼んでみる。上司の息子とはいえここでは若輩者なのだ。「あの、僕に敬語はいりません。どうか呼び捨てて下さい」 そう言うも。
そして、辿り着いた扉の前。 その上には特務部三番隊待機室の文字が掲げられていた。この先に父がいる。ほんの一週間前までは会うのを楽しみにしていた父が。しかし、今では得体の知れない何かのようで足が竦む。 動かない優斗を気遣うように律が背中を撫でる。横を見れば心配そうな顔。 優斗は黙って見つめ返すと深呼吸して扉をノックした。 すると、間髪入れずにドタドタと騒がしい音が近づいてくる。そして壊れそうな勢いで開かれる扉。 そこには父が立っていた。少し白髪の混じった黒髪に泣きボクロのあるタレ目とひょろっとして痩せた体。優斗の記憶と寸分違わぬその姿にようやっと安堵する。しかし、当の父は驚いた表情から、次第に泣き出しそうな表情へ。限界まで垂れた眉の下の目が潤んでいく。「優くん……!」 感極まった父は力強く優斗を抱きしめた。強く強く抱きしめて涙を流す。「大きくなったね。元気にしてた? 剣の稽古もちゃんとしてたかな。共切も無事抜けたそうだね。父さん鼻が高いよ。自慢の息子だ」 しかし、その口から出るのは優斗を裏切るもので。 優斗は一瞬にして頭に血が上る。 そして、思いっきり腹パンを喰らわせた。 思いもよらぬ一撃に玲斗はよろめき、信じられないといった顔で優斗を見上げる。「自慢の息子? このクソ親父が。あんたのせいで酷い目にあったっていうのに呑気なもんだな」 冷めた目で睥睨する我が子に玲斗は蹲ったまま縋る。「ゆ、優くん? どうしたの。君はこんな事する子じゃないでしょ。父さん何かした? 共切に選ばれたの嬉しくないの? 凄い事なんだよ!?」 あくまで共切に選ばれた事を喜ぶ父に、優斗は薄ら寒い物を感じた。本当にこれが今まで見てきた父と同一人物なのだろうか。「何かした? じゃないよ。僕が死んでも良かったって言うのか? 共切に選ばれなければ、僕に価値は無いって!? あんたおかしいよ。本当に僕の父さんなのか? 優しかった父さんはどこに行ったんだ……」 俯き拳を握る優斗に、玲斗は|狼